五郎沼通信 第2号 平成25年10月25日発行
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五郎沼通信 第2号 平成25年10月25日発行
この通信は、五郎沼の桜や周辺環境を守りながら、五郎沼の活用方法や今後のあり方を地域の皆さんと考えるために発行します。
(発行部数:200部)
発行者:「五郎沼の桜を守る会」
事務局 瀬川峰雄
紫波町南日詰字小路口70−1
電話:019−672−2656 (FAX兼用)
携帯:090−2270−6771
E-mail : shiwajokaso@crest.ocn.ne.jp

沼の西側堤体の補修が動き始めました!
本会の目的の一つでもあります、五郎沼の堤体のうち、特に決壊がひどい(桜の木が水面に浸かっている状態)西側堤体の修復へ取りかかることになりました。
 左図は、今回、工事を請け負うこととなった、業者さんからの工事図面ですが、五郎沼の北側入口付近と同じように、大き目の石で抑えると言うことなので、景観上においても問題がないと考えられます。 
 このように実際に工事が少しでも始まったことは、地元としては大変うれしいことではありますが、業者さんは土手修復用の重機は南側の橋では狭く無理なため、左下写真のように仮設で橋を造ってます。しかし大変苦労をしている様子でした。
◎修理予定工法
堤体幅の西側が多少高いので、その分を削り沼に埋め、石で囲む予定

8・9の集中豪雨の様子
経験のない大雨で、町内は大変な被害を受け、平成十九年と同様に廿木地区は北上川の氾濫もありました。
 五郎沼はかろうじて堤体の決壊での沼の水が広がるようなことはありませんでしたが、南側余水吐け(よすいばけ)土のうが決壊してしまいました。しかし、今回の堤体修復工事屋さんが、同時に土のうを積んで修復してくれそうです。
◎沼の南側の土のうが決壊した場所
◎沼の北側
沼からの排出口は小さく、8・9の水害時の五郎沼の水かさは上がり続け、土手の高さが一番低い北側からの道路へと一部の堤体より水があふれた。
◎通常時はみ出た桜幹が見える

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五郎沼薬師神社の石碑、石灯籠郡の話
薬師神社の石碑、灯籠が倒れていましたが、この程、業者さんに頼み見事に修復されました。このコーナーでは各石碑の由来を調べてご案内しますので、是非一度見に来てください。

灯籠
古い石から出来ているようだが、この石は大変もろい
石碑群
※和讃供養
石卒塔婆(そとば)・・・・庶民の仏教の印で、樋爪館後の廃寺の大荘厳寺との関連で13基ある内の一つ
和讃(わさん)・・・・仏・菩薩や祖師・先徳、経典・教義などを日本語で讃歎した讃歌
※月庵道光信士位・・・・大荘厳寺にあった住職の墓石
※馬頭観音・・・・明治初期まで五郎沼にあった「観音島」から唯一の石碑
※陣ヶ岡峰右衛門・・・・江戸時代末期の地元の相撲取の墓石
 五郎沼開削の際、土中から掘出した石碑(町の歴史家の工藤隼人氏の説では沼の国道そばの「夜泣き石」のこと)を蔭沼の金毘羅供養塔の台石にこれを使った。
その供養塔を通りかかった相撲取の「陣ヶ岡」の前に、大入道が現れ、取って投げられた。陣ヶ岡関取は薄気味悪くなり、巫女(いたこ)に聞くと「俺は古くより仏の供養として建てられたが、お前を見込んで頼むからどうか、前の場所に戻してくれ」と言われてから、現在の場所に再建されたとのこと(佐々木喜善氏の昔話より)
※庚申(こうしん)
干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この夜に人間の体の中にいる三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は、徹夜をする、これを「庚申待ち」という。

大雨の中でも「五郎沼古代蓮まつり」開催されました
今年で第十一回になる「五郎沼古代蓮まつり」が七月二十七日に開催されました。
「晴れ」の特異日だったはずの「五郎沼古代蓮まつり開催日」が、今年は異常気象のためか、テント等の準備中には晴れていても、午後の開催時間には残念ながら、大雨になってしまいました。
それでも、招待者の方々は大雨の中でもほぼ全員来ていただきました。(平泉町の関係者は、大雨対策とのことで、町長、議長、消防団長さんは、急きょ欠席されました)
会場を箱清水公民館に移しての今年は、平泉住職さんの講話と宇都宮在住の紫波町出身者の鷹觜さんが、「下野の樋爪五郎を訪ねた紫波の先陣たち」と題してお話を頂きました。

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