平成28年(2016年) 公式サイトpdf
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「平井家住宅」が国重要文化財 指定へ
~伝統的な構造と近代的手法が融合した優れた和風建築として評価~
色づく紅葉に囲まれた平井家住宅(11月13日撮影)
通りから見た平井家住宅。2階のガラス窓が交互に上下に配置されている
 日詰商店街の南端に建つ平井家住宅(平井邸)が、国の重要文化財に指定される見込みとなりました。昨年10月16日に行われた文化審議会の答申で、地方の伝統的な間取りや構法に近代的な意匠や技術などが取り入れられている優れた和風建築として高い価値があると認められ、決定したもの。町内の国指定文化財は、「勝源院の逆ガシワ」「山屋の田植踊」に次いで3件目となり、建造物では初の指定となります。

江戸時代初期からの商家・平井家
 平井家はもともと近江(滋賀県)の出身といわれており、伊勢松坂から会津を経て、日詰に移り住んだのは江戸時代の元和年間(1615~1624)であると考えられています。初代の六兵衛が「伊勢屋」と称して米の取引を始め、2代(以降、六右衛門を襲名)の時代には八戸藩の飛び地となった志和(現在の志和地区)の御お蔵くら宿やどに指定され、志和で収穫された米を江戸に移出する際の保管・移送業務を担いました。
代々倉庫業を営むようになった平井家は、それに関連して江戸の穀物問屋の代理業や宿屋などにも商売範囲を拡大。また、6代の時代に始まったといわれる酒造に加え、明治時代に入ると、醤油・味噌などの醸造販売や鉱山経営などを行い、昭和4年(1929)には13代が㈱平六商店を開業。昭和43年(1968)には、菊の司酒造㈱に社名を変更し、現在は15代目の平井滋さんが代表取締役として引き継いでいます。

平民宰相・原敬を迎えた平井家住宅
 平井家住宅の主屋は、12代平井六右衛門(政治郎)によって大正10年に建てられました。政治郎は、盛岡銀行の株主や二戸郡平糠金山・和賀郡綱取銅山の経営、賃取橋「平井橋」への出資など実業家としても知られ、大正4年から衆議院議員、同8年から貴族院議員として活躍。平井家住宅完成後の8月に行われた新築披露宴には、当時の首相・原敬も訪れました。これは、原が東京駅で暗殺される3カ月前のことであり、平井家住宅は故郷岩手で最後に原を見送った歴史的建築物としても貴重な価値があるといえます。

新築披露宴が行われたといわれる大広間。床の間に合わせた特注サイズの畳や、床柱(とこばしら)・落掛(おとしがけ)・長押(なげし)に使われているアカマツの糸柾目材(年輪の幅が糸のように狭い貴重な木材)、台湾から取り寄せたクスノキの2分板で造られた天井など、見どころが満載。


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